妊娠証明書

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A子さんは、診察室に入るなり、思いつめた表情で私に言った。
「先生、妊娠証明書を書いてくれませんか」
診察もしないで書くわけには参らない。
なにはともあれ、診せてもらいましょうというと、
「実は、子どもなんかできてないんです。だけど、ウチの人に〃妊娠した″って言うてしもたんです。だから、どうしても証明してもらわないと困るんです」
困るのは、こちらのほうである。一体、なぜそんなウソをついたのか。深いわけでもあるのだろうか。少しずつ聞いているうちに、おぼろげながら事情がわかってきた。
A子さんは結婚して六年にもなるのに子どもができない。一日も早く孫の顔を見たいと、姑たちの声は非難めいた口調になってきた。
最近は、夫まで冷たくなってしまって、ときには人前でも〃石女″みたいなことをいう。
l要するにA子さんは、そういういかにも〃欠陥女性″のようなレッテルに耐えられなくなって、ついつい「あなた、私、妊娠したみたいよ」と口をすべらせてしまったのである。
家族は喜ぶ一方で、半信半疑にもなった。なにしろ六年ぶりで初めてのことだ。「それなら、医者に証明書もろてきます」
A子さんは、ウソの上塗りをするハメに追いこまれたわけである。私は一計を案じた。まさかウソの証明書を書くわけにはいかない。

しかし、この患者の窮状は救ってあげたい。そこで、ご主人に私あて電話してもらうことにした。そして、私はご主人に告げた。
「奥さんは、たしかに妊娠されているようです。しかし、残念ながら流産の兆候が始まっています。少しむつかしいと思いますね」賢明な読者なら、もうお気づきと思う。
半月後、私はA子さんが流産したことにして、とにかく〃終戦処理″をした。
つまり、妊娠はしたけれど、ダメだったという経過をつくってあげたわけだ。こうして、A子さんは〃石女″の汚名から逃れることができた。あとは私の出番である。
A子さんご夫妻にカウンセリングを受けていただき、十分な検査のすえ不妊の原因をつきとめることができた。
いまA子さん夫妻は、治療の甲斐あって子宝に恵まれ、幸せな日々を送っている……。
実は、この手の証明書、ときおり頼まれることがある。あわれな女ごころ、いや、幸せをつかもうとする一途な女性本能というべきだろうか。
現実に「妊娠したらしい」と繰り返しながら努力した結果、本当に子どもができた女性もいる。まさに〃おんなの一念″である。

出典:出会いがない 社会人

三十分だけ動くな

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「先生、酔ってるときセックスしたら、ロクな子ができんてホンマですか」と、A氏が先日、大まじめに電話してきた。
少しでも酒の気配がすると、奥さんは絶対に受け入れてくれないそうだ。
酒を飲めば血液中のアルコール濃度は確かに高くなる。だけど、精子は血液とは独立した存在だ。精子が酔っぱらったという話は古今東西、聞いたことがない。
「どうぞご安心を:::」といっておいた。
この種の誤った俗説は少なくない。それが正常な妊娠、出産を妨げたりするのは困りものだ。
不妊症の女性は、とくに神経質になりがちである。治療が一段落して、うまく排卵日のセックスが実を結んだのに、またまた流産した、というZ夫人のケースなどは〃大事をとりすぎた″愚かな典型といわねばならない。
なぜなら、ある時期の排卵期が過ぎたあと、一度も私のところへやってこなかったから……。
仕事もいいけど、人生設計もしっかり考えて素敵な出会いを見つけてください。
「だって、先生。うかつに動いたら、大切な主人の分身が流れ出るかもしれないと思うて.::.」
あきれてモノも言えない。一般に、うまく妊娠する場合、射精された精子は三十分以内に子宮に入り、その後卵管に到達するものである。
つまり、勝負は三十分で決まるのだから、その時間内だけ静かにしていれば十分である。
「でも、先生。いままではセックスしても朝になったら必ず精子がもれて出てきますねん。ああ、また失敗したなあと残念で……。そやから今度はず-つと安静に、外出もせんと……」
「そりゃ、奥さん、膣の入口にはチャックもフタもないから、入ったものは出ますよ。でも、それは、ただの精液か、死んでしまった精子の抜け殻ばっかり。どうということはないんです」
射精された精子は一回平均二億から三億といわれるが、膣内で半分が死ぬ。やっと子宮へたどりついても、その子宮内膜は山あり谷ありの難所つづき。
バタバタと力尽きて倒れ、卵管へ着くころには五、六百匹に激減しているものだ。
そこで卵子に出会うと、たった一匹をドッキングさせるために残りがいろんな援誰射撃をする。結合できる精子は、考えてみれば長旅に耐えた百戦練磨の強者といえるわけだ。
「その貴重なご主人の分身を、あなたはムザムザと見殺しにしてしまったんですよ。
ちゃんと引き続いて診察にみえていたら、もう二度と流産しないように、いろんな予防措置をとることができたのにねえ」Z夫人は、気の毒なほど打ちしおれた。
私自身も、残念で仕方がない。なによりも、ご主人の健気(けなげ)な精子を犬死にさせたことがI。

出典元:

子どもは道具じゃない

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何年たっても子どもができない。それを口実に、夫が浮気をする。l世間には、案外そんな夫婦が珍しくないらしい。
もちろん夫の身勝手ではあるが、そういう妻もどこか冷たく醒めているタイプが少なくない。
なのに私のところへせっせと通って、妊娠できるようにと治療をつづけていた。
「だって先生、今度結婚したとき、すぐに赤ちゃんができるようにしておきたいんですもの」もう完全に離婚する気なのである。
B夫人は、違った。ご主人は、まるで公認みたいにせっせと外泊し、年に一度は愛人を取り替え、ときには奥さんに紹介したりする。
心に通院してくるのである。

「だって、私、主人を愛してるんですもの」。
淡々と、まるで他人事みたいな口調で説明し、「もし子どもができたら、あのひと、きっと家へ落ち着くと思うんです。だから、どうしても欲しくそんな非道、非常識な夫なのに、B夫人は「あの夫の子どもが欲しいから.…:」と、それは熱S夫人は、夫の浮気を感付いて以来、〃けがらわしい″と夫を一度も寄せつけなかった。それって……」
この夫婦、当然のことながらせいぜい月に一度ぐらいしかセックスがないという。これではいくら治療したって妊娠することはないだろう。
私は、むしろそこに〃女の意地″を見る思いがして、なんとなく心が暗くなった。
「あのね、奥さん。あなたは絶対に間違ってますよ。いくら〃子はカスガイ″といっても、これじゃ子どもは道具じゃないですか。
もし生まれても、ご主人が戻ってこなかったら、その子はふびんですよ」
こういう場合、夫はたいてい治療に協力しない。B氏も無論拒否した。夫婦の歯車がかみあっていないのだから、当然かもしれない。
再三の勧告でB氏がカウンセリングルームに姿をみせたのはもう半年もたってからだった。
「あなたの気持ちも理解できないことはない。だけど、奥さんの女どころをあわれと思ったら、一年間だけ私に協力してくださいよ」
少しは見込みありとみて、私は情に訴える方法をとった。夫と妻が「子どもをつくる」という一つの目標へ向けて共同作業をする。
不妊原因の究明、治療:::その繰り返しのなかで、たとえ少しずつでも互いに情(じよう) がわいてくるはずだ。
それが、狂った夫婦の歯車を元へもどすきっかけになるのではなかろうか……。

参考:出会い系 サクラいない

豆知識―試験管ベビーについて

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試験管ベビーは現在世界ですでに二百人近く誕生し、五百人ぐらいが妊娠中(一九八三年八月現在)といわれています。
日本でも成功しているのですが、女性から卵子を取る技術は手術をするのと同じだと知っている人は少なく、安易に考えている人も案外多いのです。
この手術は、腹腔鏡といって腹部に、棒の先にレンズ(直径○・五’一零)のついたようなものを挿入し(その前に気腹といって腹腔内にガスを注入して膨らましてから)、卵子を採取します(最近そのようなことをしないで直接腹部に針を刺して超音波断層をしながら採取する方法も研究されている)。
採取した卵子を培養して成熟させ、一方、別に採取した精子を洗浄して濃度を調整、卵子とシャーレまたは試験管の中で合わせて受精させます。
さらに培養、分裂をおこさせたものを子宮に注入、着床させるのです。これは、体外で受精現象をおこさせるので、体外受精ともいわれています。
素敵な結婚相手を見つけても結婚後に問題は発生した場合、ここに書いてあるように意外と改善に手間がかかります。気を付けましょう。
最近の傾向としては、少しでも外界の影響を避ける意味で培養時間を短くしようとして、受精卵の細胞が二-四個に分裂した段階で子宮に注入される場合が多く、さらに精子と卵子を合わせてすぐに(精子が卵子に侵入する直前)子宮に注入する方法も試みられています。
体外受糀する三十五歳以上の人の場合、半数近くが流産しているといわれています。現在、世界での成功率は二○%ぐらいといわれ、日本もいずれはその域に達するでしょう。
原則として体外受精は卵管が閉鎖している人に行うべきですが、最近は適応範囲が段々と広がっていく傾向にあり考えさせられます。
卵管が閉鎖していれば、まず卵管の手術を受けるほうがよいのはいうまでもありません。

出典元:結婚相談所 選び方

試験管ベビー

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「先生、試験管ベピIちゅうのがロンドンで成功して、無事に子どもができたそうですね。アレ、日本では無理なんですか」
通院して三カ月もたたぬJ子さんが、何気ない表情で私に質問した。
実は、日本でも研究がかなり進んで態勢も整い、あとはどこが最初に実施するか、というところまできている。そう伝えると、J子さんは身を乗り出し、声をひそめて言った。
「私も内緒で、試験管でやってもらえないでしょうか。無理なら、ロンドンの病院の方に紹介してほしいんですけど.:‘・」
J子さんは結婚して四年、全く子宝に恵まれないからと診察を受けにきた。検査の結果、卵管がつまっているとわかり、手術するかどうかと話をまとめている段階だったのである。
「冗談いっちゃいけませんよ。手術をして、それでもダメならロンドンでもパリでも紹介を考えますけど、いまの段階で試験管などというのは、手術いやさの安易な逃避としか受けとれませんな」

J子さんのような申し入れは、ほかにもあったけど、みな同じように〃子どもは欲しいが、痛い想いをするのはイヤ″という発想である。そこが私の気に入らない。
努力なしでは、幸せは得られないものだ。試験管ベビーは確かに成功例がある。ロンドンでは、すでに二人が無事に生まれた。
その後、医師と生理学者が組んで、試験管ベビー専門の病院(三十床)をつくり、八十四万円で引き受けているという。いま三千人も申しこみがあり、ブームを呼んでいるということだ。
だが、誕生したことだけに目を奪われてはならない。実際には、いままでに二百人に試みた結果二人誕生したというのだから、成功率は一%にすぎないのだ。
ほかに二人が妊娠したが一人は流産し、もう一人は妊娠五、六カ月で奇形児とわかり中絶したという。
成功率が低いのは当然のことだ。卵巣を手術して卵子をとり出し(これが、まず危険)、シャーレ(時計皿)の上に置く。
そこへ精子を入れて受精させ、摂氏三十七度ぐらいの温度を保った孵卵器のような恒温槽に約二日間入れて受精させたあと、スポイトのようなもので母親の子宮へ入れる。
うまく着床するかどうかは〃神頼み″でしかない。
もともと試験管ベビーの本来の目的は、受精など人間誕生の神秘を解明するために開発されたものだ。
それを、こういう〃実用″に使おうというのはまだ時期尚早であり、どことなく邪道のような気もする。
「まあ、確率からいえば、五十回はロンドンへ行かんとダメだから約四千万円。それに旅費や滞在費ってことになると、全部でいくらかかりますかな」。
J子さんは〃もう結構″と手を振った。

出典元:

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